『天体のメソッド』第1話 すべては彼女たちの再会のために

 

 面白かったので、その感想を。


 ストーリー展開はオーソドックスで目新しいものはなかったが、肌理細かい仕事がなかなか良かった。久弥直樹さんの仕事は「sola」しか知らないが、これまた「空」をテーマにした作品。「sola」も7年前の作品だ。



 ファーストショット。主人公である古宮乃々香の鼻歌にのせ、画面の大半を占拠する一面のひまわり畑が映し出される。そこから、車で引越し先へと向かう乃々香と父親のショットに切り替わる。


 ここでトンネルを通過する描写が挿入される。それは、映画や小説によくあるトンネルや洞窟をくぐって、別世界にたどり着くというものだと思うが(日常の世界から非日常の世界へと変わる転換点。まさに円盤が空に浮かぶ街という非日常の世界へと切り替わるわけで)、ここでは、過去と現在を繋げる装置の役割も兼ねているのだろう。乃々香が過ごした7年前と今を繋げて、この物語は始まる。
 
 そして、トンネルを通過した後、7年もの間、天文台で乃々香を待ち続けた彼女が目を覚ますのだ。


 このアバンは、斬新なものでもなんでもないが、「物語の始まり」を感じさせる良い導入だと思った。




  Aパート。棚などの埃やブラウン管のテレビで7年の歳月をさらっと描写するのが良い。朝ごはんを手際よく作る乃々香の描写や、父の急な仕事で家の掃除を押し付けられて、「一人で家の掃除なんかしない」と言いつつも家の掃除を結局一人でする描写など、彼女の性格を窺い知れる描写も良い。それらの描写から、責任感の強いしっかりした女性ということがわかる(母親がいないからそうなったのかもしれない)。まぁ、ちょっとおっちょこちょいですが。




 ダンボールの中に入れっぱなしにしていた目覚まし時計に起こされ、それを探し回る乃々香とそこでのノエルの勘違いの描写もくすっと笑えるもので、なかなか良かった。

 乃々香の「どこよ、どこにいるの?」という台詞は、目覚ましに対して云った台詞だが、まるでノエルに対して云った台詞にも聞こえる。乃々香も心の奥底では、ノエルを探していたのかもしれない。



 乃々香とノエルが出会うシークエンス。突如、部屋から青色の髪の色をした女の子が自分に抱きついてきたら、パニックになったり、その子の素性を聞いたりすると思うのだが、乃々香は泥だらけのノエルの服を洗い、風呂に入れ、家で留守番までさせるのだ。僕はそこで、「えっ?」と驚いてしまった。なぜ、こうも簡単に見ず知らずの少女を受け入れるのか、なぜ彼女は迷いもしないのかと。

 それは乃々香がもう運命的にノエルを受け入れてしまっているからに思える。記憶は不鮮明であまり覚えてはいないが、乃々香はわかっていたのだ、彼女と出会うこと。だからこそ、ノエルをすんなりと受け入れてしまう。




 Bパート。乃々香は、母親の写真が入った写真立てをノエルに壊されたと勘違いして怒り、ノエルを家から追い出してしまう。その描写は乃々香が母親のことを大事に思っていることが伝わってくる描写だが、そのくだりはマクガフィンのようにも思える。

 第1話のラストでノエルと乃々香を天文台で再会させるためのマクガフィンとして、その写真立てのくだりはあったのだと思う。別に、乃々香とノエルを別れさせるものであれば、何の出来事でも良かったのだろう。


 ノエルと乃々香が天文台で再会するシーンを作るために、逆算して作っていくと、あの写真立てのくだり(二人を一旦別れさせるためのくだり)が必要になった。


 二人を一旦別れさせ、乃々香がノエルを探し回ることによって、彼女が記憶を徐々に取り戻す仕組み。 


 記憶を取りもどした乃々香は、天文台でノエルと運命的な再会を果たす。そこでの彼女たちの台詞のやり取りを聞くと、


乃々香「あの・・。」

ノエル「信じてた。来てくれるって信じてた」

乃々香「ごめんなさい、私。ノエル、ごめんなさい」

ノエル「お帰りなさい、乃々香」

乃々香「ただいま、ただいま、ノエル」

 
 もはや、写真立てのことでの台詞ではないことがわかる(写真立てのことなんかどうでも良い)。ここでの乃々香の「ごめんなさい」は、7年の間、天文台に帰ってこなかったことを指し示しており、ノエルの「信じてた」は、写真立ての誤解に気づいて謝りに来てくれるというものではなく、乃々香が必ず天文台に帰ってくることの意で云ったのだろう。


 この逆算して作られた構成が良い。人物たちのすべての行動は、乃々香とノエルの「再会」に収束される。


 すべては彼女たちの再会のために。


 すべては彼女たちの約束のために。




 以下小ネタ。


 ハスカップ味のいろはす。どんな味なんだろう。




 北海道に、旅行に行ったとき、ファミマとかよりもよく見かけたセイコーマート。ここではサイコーになってますが。




 江畑さんのED良いですね。男子らしい水坂湊太の仕草が好きです。




 ノエルの歯を出してのピースも、とてもチャーミングで、グッドです。

『凪のあすから』第17話 阿部記之演出の秀逸さ


 素晴らしかった。


 他の回とはちょっと違う異質な回だったように思えた。

 他の回では(篠原俊哉監督の回など)、構図+カット割り+人物の芝居で見せていくのが多かったように思えるが、今回はカット割りの部分にカメラワークが入れられたように感じた。つまり、構図+カメラワーク+人物の芝居っていう感じ。カメラワークで見せ場を盛り上げているのが新鮮だった。それに加えて、画になる1ショットがかなり多かったのも印象的。びしっと決まったかっこいい構図の1ショットが、ここぞという時に使用されていて、すごく良かった。


 印象的だったところを挙げていきます。


 Aパート、伊佐木要が木原紡と比良平ちさきが住む家を訪れるシーン。ここで要は、紡とちさきが一緒に過ごしてきた時間とそれに伴って生じた絆を目撃するのだが、その見せ方が良かった。

 ちさきと紡がお茶を煎れるために台所に向かい、お茶の準備をする。紡が棚の上段でコーヒーの粉と砂糖を出している時にちさきがカップを出しにくるのだが、そこで紡はちさきをちらっと見て、カップを出しやすいようにと身体を避ける。そして、ちさきは紡の腕の下に入り棚からコップを出す、という一連の流れの芝居の秀逸さ。素晴らしい。紡とちさきが言葉を交わさずに、目線のやりとりだけで通じ合ってしまうという親密っぷりを芝居で表現する(普通なら、ちさきが「カップを出すから避けて」とかいうはずだが云わないし、また紡もちさきがカップを出すのだと事前に察するのだ)。

 しかも、彼と彼女の身体的距離があまりにも近い。パーソナルスペースでいうと、彼と彼女は非常に親しい間柄と云えるだろう。つまり、彼と彼女は家族や恋人くらい親密になっている。そのあとに、砂糖がないのがわかった紡に対し、さっと砂糖の袋を渡す芝居など、彼と彼女は長年連れ添った夫婦みたいだ。

 家に入り、服をかけ、茶を煎れる準備するまでの流れるような一連のシークエンスは見事だ。特に上記した縦構図の1ショットが印象的だった。ショットの最後に要がちらっと頭を見せるのも細かい。




 Aパート、要が起きたことが知らされた後の学校での潮留美海と久沼さゆの会話シーン。ここでの舞台転換が効果的で良かった。舞台の変化の流れとして、技術室、回想、学校の屋上と舞台は変わっていく。さゆの感情の流れとして、要の登場による戸惑い(技術室)→要と再び会えたことへの喜びと成長した自分なら要も相手にしてくれるという希望(学校の屋上)、という風に流れる。閉鎖的な空間(=技術室)から解放されたオープンな空間(学校の屋上)へと移行する舞台は、さゆの感情の流れと照応している。つまり、舞台の変化によって、さゆの感情の推移を視覚的に表現している。戸惑い(=閉鎖的な空間)から希望(開放的な空間)へという感情の流れを舞台の変化によって増幅するのだ。




 今回は、逆光での見せ方も凝っていよかった。Aパート、要とちさきの二人きりでの会話シーン。5年の歳月を経たちさきとあの頃のままの要が互いに自分の抱いている気持ちを確かめ合うのだが、そこでちさきは逆光で映し出され、影に覆われる。ここぞという場面で、逆光を使用し、登場人物を映し出すと、ここまで意味合いを帯びたものになってくるのかとちょっと驚く。逆光によって深みのある良いシーンになっている。逆光は、光と要のシーンやさゆと要のシーンでも使われており、これまたいい味を出している。




 美海は、自分にエナが出来たことよって、光たちと同じになった、彼らの輪に入ることが出きると思って喜んでいたが、光がまなかのことを想い続けていることを知ってしまう。その知った直後、踏切と電車のショットが映し出される。自分が光に近づいていると思っていたけど、実際はそうではなく、遠いところにいるとわかった直後に「踏切」を登場させ、「断絶」のイメージを視聴者に与える。結局、美海と光の間には距離があるのだということを台詞だけでなく、視覚的に表現する。

 映像で見せていこうという趣向が第17話で随所に見られる。




 さゆと要の再会のシーンが、これまた素晴らしかった。さゆは、要と再会することを不安まじりながらも、楽しみにしていた。そんな折、さゆは下校途中、偶然要と再会する。しかし、要は成長したさゆを分からなかった。それにさゆはショックを覚え、自分は要にとってその程度の存在だったのかと思い込む。ここでは、さゆと要は接近することはなく、道路を挟んで再会する。その道路によって、二人は分断され、道路によって生じた二人の距離は、さゆと要の距離を表す。要に近づいていたと思っていたが、結局距離は縮まっていなかったとさゆは思うのだ。




 さゆは下校途中、また要と同じ場所で出会う。その時、要は道路の反対側からさゆへの元へと走って会いにくる。そして、要はさゆに話しかけ、さゆは要が自分のことを忘れていなかったことを知る。前回の道路の距離は、今回はない。さらに云えば、距離を縮めたのは要だった。さゆと要の間には距離などなかったことが、この道路の距離によって示される。二人の心理の描写を道路を使用して、視覚的・映像的に表す。秀逸な描写だ。さゆと要の再会シーンは、車を使用したり、かもめを使用したりとギミックを巧く使って、ドラマティックな出会いに仕立てており、その演出力の高さに惚れ惚れするシーンだった。




 第17話は、すべてにおいて高いクオリティになっているように思える。画になっている構図のショットがいくつもあって目を引くし、カメラワークも船着場でのさゆと美海の会話シーンやさゆと要の再会シーンなどで効果的に使用されていて、躍動感のあるシーンに仕上がっている。人物の芝居も、元々この作品は素晴らしいのだが、それがより肌理細やかになっていると感じられた(上記したシーン等)。


 脚本/根元歳三、コンテ・演出/阿部記之作画監督/嶋田和晃。


 始めから終わりまで痺れました。良き回です。今の『凪のあすから』の面白さは異常。毎回、毎回、面白すぎる。


 

『凪のあすから』 5年後の世界について


 『凪のあすから』は、第14話「約束の日」から、おふねひきから5年後の世界が描かれている。


 1クール目では、海の世界の光たちと陸の世界の紡たちとの異種間の交流が描かれていた。違う世界で生きていた者たちがどうやって交わっていくのか。互いの違いから生まれる対立・壁をどうやって乗り越えるのか? 理解できるのか? というものに主眼が置かれていたと思う。

 本作のテーマは、自分と違いがある者(異なる者)たちとどうやって交流していくのかということだと思う。その過程で、違う者と接した時、自分が変わっていくのか・変わらないのか? ということも生まれてくるわけで。


 1クール目では、海と陸というものだったが、2クール目からはまた別の異なることが登場する。

 それは、「時間」だ。「5年の時を経て変わった者たち」と「まったく時を経ずに変わらなかった者たち」がどうやってまた交流していくのかが2クールのテーマなのだろう。


 自分だけ成長せずに、周りの人間が成長するという舞台装置は、珍しいものではなく、『トップをねらえ』のウラシマ効果や『おねがい☆ティーチャー』の停滞、『ラーゼフォン』においての神名綾人と紫東遙など、それこそ岡田麿里脚本の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』も、子供のころのめんまと成長したじんたんたちの物語であり、この舞台装置を取り入れたアニメ作品は多い。しかし、本作はどの作品よりもこの舞台装置が物語の重要な位置を占め、本腰を入れて描いているように思える。そこが2クール目の見所だと思う。自分を置いて変わってしまった世界に対する戸惑い、大事な者が変わらずに自分だけが変わっていくという葛藤、これらのテーマをどうやって切り込んでいくのか楽しみだ。


 2クール目からは、OP&EDも新しくなった。

 OPのタイトルバックの時に登場人物が輪になって映し出される。そして、皆の目線はバラバラに誰かを見つめているように見える。カット割りによって、光はまなかがいる海を見つめ、ちさきは光を見つめ、要はちさきを見つめ、同じく紡もちさきを見つめ、美海は光を見つめ、さゆは要を見つめているように映る。そして一様に、皆目を逸らしてしまうのだ。その逸らすことによって、見つめるものが届かないようなものだと伝えているかのようだ。

 実際にはみんな海を見ているのだと思うが、カット割りによって僕はそう感じてしまう。




 冒頭で美海が持っている赤い傘が風によって飛ばされる。しかし、ラストで傘は戻ってくる。それを誰かが掴むのだが、誰かが掴んだかは描写されない。しかし、美海ならば、制服の袖が映るはずだが、映らない。そこからまなかが掴んだように見えてくる。果たして、まなかは再び帰ってくるのだろうか。




 第15話では、度々窓ガラスなどに反射される登場人物の顔が挿入される。そこで、光は何も変わっていない自分の顔を見つめ、自分の周りだけが変わってしまったのだと悟る。美海は自分の顔を見つめ、成長した自分・光と同い年になった自分を見つめる。ちさきは、変わってしまった自分の顔を見つめ、その変わってしまった嫌悪感からふさぎ込んでしまう(また、鏡に映った自分の身体をみて)。このガラスの反射を使った今の自分を見つめるという演出がなかなかよかった。自分が今どうなってしまったのかという差異を浮き彫りにする。






 光は目覚めたあと、世界がチカチカすると感覚に襲われる。それは、五年もの間眠ってしまっていたせいもあるのだが、光には変わってしまった世界があまりにも眩しすぎるのだ。皆が大人になっている世界は、今の光には辛すぎる。




 第15話でのこの構図のショットが好きだ。画面右のそびえ立つ灯台(逆光によって暗影となっている)と一人佇む光の構図が寂寞な想いを抱かせるが、画面左上の雲の間から光り輝く太陽と流れてくるメロディによって、まるでこれから光に福音(善きこと)が訪れるかのようになっている(このあと、ひかりはちさきと出会う)。光と影が同居した印象的な1ショットだ。




 光とちさきが再会するシーン。ここでのカット割りがなかなか面白い。光とちさきが出会う時、彼と彼女間には柱があり、映像的に分断されている。柱の分断が指し示すように、彼と彼女の間には壁がある(時の壁)。その後のカット割りでは、光とちさきを同一のフレームに収めることはない。切り返しショットなどによって、彼と彼女が同一フレーム内に収まることを避ける。そのことによって、彼と彼女の世界はカット割りによって分断されている。しかし、光がささきのことを「変わっていない」ということを伝え始めると、彼と彼女は同一のフレーム内へと収まっていく。それは、彼と彼女の分断(=壁)が取り除かれたことを示してくれる。




 ちさきと光、ちさきと紡の関係がこれまた面白い。紡は、成長して大人になったちさきに対して「綺麗だ」と云う。それは、変わってしまったちさきを肯定する言葉であり、現在のちさきを認めることだ。しかし、光はちさきのことを「変わっていない」という云う。それはちさきが昔のままだということ。ちさきは、「現在」の男の紡と「過去」の男の光とどちらを選択するのか。今彼と元彼の間で揺れ動く女子っていう感じ。いや、第14話での「団地妻」という言葉の通り、今の夫と再会した昔の男の間で揺れ動く奥さんっていう感じか。光と再会したちさきが、紡に会うシーンの気まずさはまさにそんな感じだ。


 第15話ラスト、美海は新しい旗を作る。ハートのツギハギやちょうちょなどの絵柄は「今」を象徴するものであり、新しい光の居場所を象徴するものだ。




 2クール目に入って、ますます面白くなってきている。今一番面白いアニメ作品は『凪のあすから』だと僕は思っていたりする。これからどう展開していくのか楽しみだ。


 

『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』の細やかな描写


 気になったので色々と。

 TST登場以降はとんでもない展開だが、前半部分の細やかな描写がなかなか良かった。

 台詞で説明せずに映像で表現していくのが好印象。


 Aパート。主人公・神前夕哉の起床のシーン。夕哉の机の上が映し出され、そこにおそらく速水もこみちをモデルにしたと思われる料理本が置いてある。彼が、料理ができる男だということは、後に描写されるのだが、それを先に説明している。また、彼が料理について学んでいることもわかる。


 家族での朝食シーン。父が海外赴任することを、直接的には云わず、日常の会話の流れで間接的に説明している。それに加え、写真を映すことによって、父子家庭であること、父が技術者であることをさらっと描写する。ここのさらっと加減が良い、長々と説明してしまう作品が結構多いので。




 美月と夕哉の玄関前でのシーン。カットを割らずに1ショットで描写する。前景(美月)と後景(夕哉)を使っての芝居がなかなか良い。多層的な見せ方が面白い。



 学校のシーン。漫画本がでかすぎて、まったく隠れていません。




 教室で授業中の夕哉が、窓越しにグランドで体育をしている美月を見るシークエンス。そこで夕哉は、美月が足が遅いこと・美月の笑顔を知ることになる。自分の前では見せない美月の素顔がわかってくるという、夕哉がまだ美月のことを何も知らないことがよくわかるシークエンス。




 美月のマフラーの巻き方。髪の上からマフラーを巻くっていうのが、ちょっと気になった。ネットで調べるとファンが多い巻き方らしいですね。マフラーからはみ出る髪の毛のモフっていう感じがなかなか可愛らしい。マフラーの巻き方で登場人物の特徴づけをするのも細かい。



 病室でのシーン。美月のカバンはテレビの台の上に置き、自分のカバンは地面に置く。彼女のカバンが地面に置いて汚れないようにする配慮。夕哉が美月に気をかけているのがよくわかる。

 OPを境に主観が変わる。OP前は夕哉の主観。OP後は美月の主観。OP前に美月の主観を入れないことによって、妹が何を考えているのかわからないという雰囲気が巧く出ている。




 美月が帰宅してからの家でのシーン。ここら辺は、細かい描写が続く。美月は自室に入るとすぐに鍵をかける。誰にも入られたくないという(他者を拒絶する)気持ちが伝わる(当たり前の描写だと思うが、意外としない作品が多い)。夕哉と母の会話を聞かないように掛け布団をかぶる描写も他者を拒絶していることがわかる描写だ。夜になったのでカーテンを閉める描写などは、結構忘れながちな描写。はっきり云って描写しなくてもいいことだと思うが、描写することによって、リアルさが生まれる。人物の一動作を省略せずに丁寧に描写していくことで、現実味が出てくる(アニメには重要な部分だと思う)。


 夕哉が買ってくるプリン。なぜコンビニで売っているちょっと高めなプリンを買って来たのだろうとちょっと疑問に。安めのプリンとかでもいいのに。アニメによく出てくるのはプッチンプリンっぽいのが多いのに、なぜこっちなのか。夕哉が気を使って、ちょっと高めのプリンを買ってきたのだろうか。と思っていたら、第2話で寿日和がプリンのクリーム部分をやらしく食べる描写があり、そのためにクリームがあるプリンを買ってきたのだなということがわかる。




 第2話での美月がトイレで着替えるシーン。ここでなぜか美月はスカートを下から脱がずに上にあげて脱ごうとする。なぜそんな変な脱ぎ方をするのだろうと疑問に思った。おそらくトイレなので、床にスカートが着くと汚れるから、汚れないために上にあげて脱いだのだと思う。ホント細かいです。ちなみに第2話のスーパーで登場したお母さんを探していた女の子は、第1話でもちらっと登場してます。細かいっす。



 日常描写を細やかに表現していて良かったです。家の家具や小道具のデザインも安直なものではなくて、ちゃんと作られている。監督の畑博之さんの仕事はあんまチェックしていなかったのですが、振り返って見てみようかな。

 

2013年を振り返って〜TVアニメベスト10〜


 去年に引き続き今年も挙げていきたいと思います。2012年放送開始でも、2013年に終了した作品は10作品の中に入れています。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない。


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 僕が今年のTVアニメ作品でもっとも衝撃を受けたのは、これでした。1期ほどの映像の切れはないけど(1期の時の川口敬一郎舛成孝二、吉村愛、喜多幡徹のメンバーがすごく良かった)、ストーリー展開が衝撃的。テレビ放映では、第13話で幕が下りたが、その後の第14話〜第16話で魂消た。ラブコメ作品で、ここまで描くのかと。TVアニメでは、兄と妹の恋愛を描いた『恋風』という作品などがありましたが、実の兄と妹が恋愛をしてしまうとどうなるのか。それは破滅的な終わりが待ち受けているのが多いのですが、この作品は違う。京介と桐乃は、自分たちなりに考えた結論に達する。それは、玉虫色の答えだったのかもしれないが、周りの者たちを不幸にさせないための答えであり、現実的な・誠実な答えだったと僕は思う。


 ラブコメ作品においての「どのヒロインを選ぶのか」という課題に対しても、京介の取った行動は正しい・誠実なものだったと僕は思う。未見の方は、ぜひ、第1期から第2期最終話まで、観てほしいと思います。ラブコメとしても傑作だと思うし、TVアニメとしても傑作です。



BROTHERS CONFLICT


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 『PERSONA -trinity soul-』、『閃光のナイトレイド』と硬派な作品を作ってきた松本淳監督の最新作がこれだと聞いて、驚いた。13人のイケメン兄弟と一つ屋根の下で暮らすという突拍子もない作品に松本監督かよ! と最初思ったが、これがまた面白かった。女性向けの作品だと思うが、男性が観ても面白い。軽快かつスタイリッシュなOPは、観ていて爽快。各話のオープニングにくる詩的な始まり方(少女漫画的な)も面白いし、幾原邦彦監督が参加した男性陣が踊るEDも良い(ちなみに同時期に放映された『Free!』EDでも同じように踊っていた)。


 ストーリー展開も、主人公が誰とくっつくのかと毎回気になるような話作りで、毎回飽きなかった(OPに誰と恋愛するのかは提示されているわけだが)。佐藤利奈さん演じる主人公も可愛いです。



さくら荘のペットな彼女


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 2クール作品なのですが、1クール目は傑作だと思います(文化祭まで)。2クール目は、話の盛り上がりが失速してしまってイマイチだったかなと。でも、良作であることは間違いないです。青春学園物として、よく出来ていると思います。王道です。

 監督にいしづかあつこさん。シリーズ構成は、岡田麿里さん。僕は、岡田麿里さんが作る青春物が好きで、どの作品にも自転車で疾走するシーンがあってそれが爽快で気持ち良いんですよね(「花咲くいろは」、「true tears」、「AKB0048」とか)。


 1クール目のEDへの入り方がすっごくかっこ良かった。鈴木このみさんが歌う「DAYS of DASH」のイントロがかかって、EDに入るという構成が、観ていてかなり盛り上がった。「DAYS of DASH」は名曲っす。


 第3話「近すぎて遠い…」、第4話「色を変える世界」、第8話「どでかい花火をあげてみろ」は見応えのある傑作回で、素晴らしかった。最終話「さくら荘へようこそ」での「DAYS of DASH」が流れ、全話を回想していくシーンも素晴らしいので、必見です。



げんしけん 二代目』


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 「げんしけん」は今作も含めて、第3期まで制作されているのですが(OVAもあったが)、今作が一番面白い。水島努監督はすごい。この人にかかれば、大抵の作品は必ず面白くなる。クオリティも高いし、ストーリー構成も良い。一新された声優陣もこれまた良い。


 二代目では、男性向けだった前作から、女性向けの(BLとか)内容に変わっており、登場人物も女性メンバーがかなり増えた。波戸賢二郎のエピソード、斑目晴信と春日部咲とのエピソード、腐女子新入生のエピソードなど、全体として、それぞれのエピソードが巧くかみ合って、観ていて飽きない。巧くまとまった作品だなと思いました。現在のオタクネタにもちゃんとシンクロしていたり、細やかなところまで作り込まれていた。上坂すみれさんのOP曲も良い。



ガッチャマン クラウズ


GATCHAMAN CROWDS   Blu-ray BOX


 「ガッチャマン」という既存のイメージとは、まったく別の路線の作品。当初はそのビジュアルから「つり球」を想起しました。作品の主義主張は置いといて、変身するときのかっこ良さや主人公の一ノ瀬はじめのキャラが好きだったので、挙げました。


 それに加えて、肌理細かい作りが好きでした。巧く伏線が張られていたり、登場人物の描写も細やかだった。例えば、一之瀬はじめは、普段敬語を使ってしゃべるのですが(「〜っす」とつけるだけだが)、母親と会話するときは敬語をやめるとか(携帯電話で母と会話するところ)。てっきり、はじめの敬語は口癖みたいなものかと思っていたらそうじゃなくて、他者に対する敬意としてちゃんと使っていたんだなとわかったりとか。細かいネタが結構あっておもしろかった。一ノ瀬はじめの人物像は、今年の作品の中で一番好きです。めちゃくちゃな言動で変な人間だと思われているけど、物事の本質を見抜けて、人を惹きつけるという人物像が良かった。


とある科学の超電磁砲S


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 一期のような盛り上がりはないと思うが、それでも面白かった。「改革未明(サイレントパーティー)」編が特に面白かったです。バトル描写はどの作品よりも巧く仕上がっていると思うし、最終回付近のバトルは見応えがあった。「妹達(シスターズ)」編は冗長過ぎて、ちょっと退屈でしたが。



『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している』


俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している 第5巻 [Blu-ray]


 主人公の「絶対選択肢」という奇妙な能力を巡るラブコメ作品。

 一切期待していなかった作品だったが、あまりのバカバカしさに夢中になった。金杉弘子さんは、今作が初めてのシリーズ構成だったのかな。


 キャラクターもバカだし、ストーリー展開もバカだし、ここまで徹している作品は、久しい。美少女、エロ、ギャグ、学園、変態などなど、B級感漂う作りはグッドです。

 第1話の選択肢のくだりでやられましたね。ああいう変わった作りは面白い。

 アフィリア・サーガさんが歌う「S・M・L☆」のOP曲も良いし、登場人物が逆立ちをするハイテンションOPも良かった。

 今年一番のくだらなさ満載スラップスティックを見逃すな。


銀河機攻隊 マジェスティックプリンス


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 古臭いというか、なんというか。どこか懐かしい感じがする作品。どこか緊張感がない作りは、佐藤竜雄監督作品を想起させます。これといって、ストーリーやキャラクターに目新しさはなく、90年代後半・00年代前半の作品を見ているような感覚でした。キャラデザが平井久司さんだからですかね。

 でも、オレンジが手掛けるCGのロボットアクションは、目新しさがあった。バトル時のロボットアニメ的な表現、カメラアングルとか、元来のロボットアニメを踏襲しつつ、CGロボットバトルに昇華しているのは新しいなと思った(他の作品でも既に行われているが、TVアニメでここまで巧くまとまっているのは驚きだった)。

 登場人物のギャグ会話ものんびりとしていて、心地よかったです。



リトルバスターズ!』&『リトルバスターズ! 〜Refrain〜』


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 『リトルバスターズ!』が始まっての小毬のエピソードは好きになれなかったが、その後の各ヒロインのエピソードと小話が良くて、視聴していた。それで、「Refrain」でぶったまげるわけで・・・。

 OPが素晴らしい。1期目のOP。登場人物たちが横一列になって走っていく。そして、白い鳥とともにパンアップして、藍い空をバックに「リトルバスターズ!」とタイトルが提示される。最高にかっこいい。「Refrain」のOPでは、理樹がナルコレプシーで眠ってしまったあと、その後どうなっていたのかが描写される。視聴者は理樹の主観で物事が進んでいくので、眠って、目覚めた後のことしかしらない。理樹が眠っている間は、どうなっているのか。それは、彼の仲間たちが理樹を背負って見守っていたのだ。理樹が仲間たちに支えられてともに生きているというのを端的に表すOPは、思わず涙が出てしまった。

 EDも素晴らしい。各話のタイトルが出るところが好きなんだなぁ。


 メンバーが揃った時、リトルバスターズの面々は、全員で集合した記念写真を撮影する。僕は記念写真というものを見ると悲しくなってしまう。それは、木下惠介監督の「二十四の瞳」で示されたように、記念写真というのは、別れの合図を示すものだからだ。皆の絆が紡がれた瞬間に撮られる写真、しかし皆がずっと一緒にいられるわけではない。必ず別れが訪れてしまう。記念写真と別離は表裏一体であり、どうしてもぼくは感傷的になってしまう。しかし、この作品では、その記念写真はまったく別の意味として登場するのである。


 「Refrain」での山川吉樹監督の鬼気迫る演出は必見である。


たまこまーけっと


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 自社オリジナル作品の2作目であり、京アニの新たな一歩といえる作品。詳しくは後日書こうと思うので割愛しますが、未見の方にはオススメです。




 今年も良い作品がいっぱいありました。来年の作品も楽しみです。

『境界の彼方』 二人が「出会う」ということ

神原秋人と栗山未来の出会い


 最終話を見終えての全体の感想を。


 『境界の彼方』で、印象的だったのは、「出会う」ということだった。誰かと誰かが出会い、出会った者同士が変わっていく。それは、物語としてはよくあることだとは思うけど、この作品では、それがより重要な位置を占めていたように思う。主人公である神原秋人は、半妖という自分の出自に悩み、その半妖の強大な力ゆえに他者を傷つけることさえもあった。栗山未来は、血を操るという特殊な能力から呪われた一族として他者から忌避されてきた。そんな彼と彼女が出会う。出会うことによって、彼と彼女は変わっていき、生きる喜びを知っていくのだ。『境界の彼方』は、人と人が出会うことによって、どのように変わっていくのかという事を描きたかった作品だったと思う。


 「境界」というのは、物事の境のことであり、物と物とが接する所。それは、彼と彼女が接する所、つまり「出会い」というものではないのか。


 僕は、この作品のOPとそのOP曲である「境界の彼方」という曲をすごく気に入っている。「境界の彼方」という曲は、歌詞から察するに秋人と未来のことを歌っているものだろう。

 第10話「白の世界」では、そのOPが秋人の元へと向かう未来を描写したものだとことがわかる。なぜ、OPで秋人と未来の「出会い」を描写したのか。もっとポピュラーなアニメ的なOPでもよかったように思える(今期でいえば、ISとかストライク・ザ・ブラッドとか)。でも、そうしなかった。それは、「出会う」ということが今作品の主題の一つだと指し示してくれている。


 第1話「カーマイン」では、秋人の元へ未来があらわれ、二人は学校の屋上で出会う。第11話では、それとは逆に、秋人が境界の彼方の世界にいる未来の元へと向かい、二人は再会する。出会いの交換が行われるのだ。未来は秋人と出会い、秋人は未来と出会う。そして、最終話、消えた未来と秋人は、また出会う。そう、夕暮れの学校の屋上で、第1話のように、彼と彼女は出会うのだ。最終話で、未来が姿を消して、再び戻ってくるのはお涙頂戴のものではないだろう。未来がいなくなるのは、マクガフィンのようなもので、それ自体に意味はなく、ただただ、秋人と未来を夕暮れの屋上で出会わせるために、用意されたものだと思う。二人の出会いを最後に持ってきたいために。



 秋人と未来が出会って物語は始まり、秋人と未来がまた出会ってこの物語の幕は閉じる。それは、『境界の彼方』という作品が「出会い」の物語だということを示してくれる。




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 上記したけど、僕はこのOPをすごく気に入っている。歌詞と映像のシンクロが気持ち良いのだ。「孤独が頬を濡らす 濡らすけど」という歌詞とともに、水滴がしたたる窓ガラスに反射して映し出される未来の横顔(その水滴によって、まるで彼女が泣いているかのように映し出される)というファーストショットは、背筋がゾクゾクするほどかっこよかった。海と空の境界線が映し出されるタイトルバックもこれまたかっこよい。




 ロングショットや素早いカット割りでの登場人物紹介も抑制が効いていて良い(アップをやたら使わないところが)。度々登場する白い花と赤い花。赤い花は、未来を示し、白い花は秋人を指し示しているのだろう。暗いトンネル(=孤独の闇)の先には、夜明けと白い花が待っている。そう希望(=秋人)が待っているのだ。


 

 第10話「白い世界」、未来は枯れ果てたひまわり畑で秋人にキスをしようとする。キスをする瞬間は描写されず、互いに向き合ったひまわりのショットが挿入される。そのひまわりのショットと未来の台詞から彼と彼女はキスにいたらなかったことが示される。

 こういう演出は結構好きだ。コンテ・演出は武本康弘さん。第2話の演出回も素晴らしかった。




 第11話のラスト、未来のもとへ向かうために疾走する秋人と一人でボロボロになりながらも戦い続ける未来のクロスカッティング。しきりに二人は、上昇運動と下降運動を繰り返す。画面での止まることのない運動によって、映像は躍動する。バックで流れるOP曲と相まって、観ている者の多くが興奮する作りになっている。三好一郎さんの手腕は素晴らしい。ここの盛り上げ方が良かった。


 京アニ初の学園異能アクション作品。最終話では、石立太一監督がコンテ・演出を担当し、第1話のようなバトルアクションが繰り広げられ、見ごたえがあった。この作品で、京アニの新たな一面が見えて良かったです。石立太一監督の次回作に期待。