『ゴールデンタイム』第7話 中野英明のメモ


 中野英明さんについて軽くメモ。


 僕が、中野英明さんの名前が気になったのは、『イクシオンサーガDT』第20話の時だった。


 この回は、他の回とはかなり毛色の違うもので、かなり異質な回だったと思う。ヒメとジャグラバークのドラッグ感溢れるやりとりは、見ていてびっくりした(視聴した方はわかるが、なかなかトチ狂っていた見せ方だった。凝った構図も印象的)。ギャグ作品であるから、ハチャメチャな部分はあったが、それとは方向性の違うものだった。こんな狂ったことをやるのは誰なんだと思って、クレジットを見たら、中野英明さんだったのだ。


 それから、中野英明さんの前の仕事を調べてみたら、ほとんど視聴しているものばかりで、ミルキィホームズもやっていたのかとちょっと驚く。ミルキィホームズでは、他の演出家も狂った演出をしていたから、あんまり目がいかなかったかもしれない。

 中野英明さんのことを『イクシオンサーガDT』以降、チェックするようになり、『波打際のむろみさん』の参加回もかなり面白かった。


 それで、『ゴールデンタイム』第7話の話なのだが、これまた変な回だったのだ。


 この回は、いたるところで、カメラを引いてフルショットもしくはロングショット気味に人物を捉えていく(それに加えて同ポジの反復)。それは、状況設定ショットの役割も担っているとは思うが、なんか違和感を感じるものなのだ。






 カメラを引いて、横構図で人物を捉えることによって、演劇的な芝居を見せていくのかなと思ったけど、そこまでその効果が出ているとは思えない。


 人物たちの日常を切りとるために、カメラを引いて、横構図(ほぼ横構図だが、縦構図、俯瞰もある)で、彼と彼女たちのそのまま日常を見せていく目的なのかと思ったが、あまりにも1ショットの持続時間が短い。それだと、効果はあまりないし。


 引いたカメラワークと同ポジの反復というキーワードは、細田守監督を想起させるが、見た限りオマージュというわけでもなさそうだ。


 引いたカメラワークとアップショットの対比によって、見せていこうとしていたのか? カメラが寄った時に、結構「動」が多くて、引き気味のカメラ(=静)との対比が結構効いているなと思ったりもしたが。



 結局のところ、中野英明さんが何の目的でしたかはわからなかった。まぁ、この方が担当すると今までの回より異質な回になることはわかった。

 芝居が結構細かくて良き回でした(香子が靴をそろえたり)。


 

『境界の彼方』 小川太一のメモ


 『境界の彼方』第6話「ショッキングピンク」を視聴して。小川太一さんについて軽くメモ。


 Bパート、学校屋上で妖夢討伐のための歌をイヤホンで聞くシーン。ここで、ちょっとだけ「ジャンプカット」(厳密云うとジャンプカットじゃないのかもしれないが、適当な言葉が見つからないのでこれを使う)が行われる。




 小川太一さんは、『たまこまーけっと』から、この「ジャンプカット」を度々使用している(コンテは、石原監督と連名だが、この部分のコンテは小川太一さんのものだろう)。


 それと、「ハーモニー」もちょくちょく使っている(『Free!』第3話で使用。ちなみに第3話は色々な手法をやっている)。「ジャンプカット」と「ハーモニー」は、時間処理を退屈にせずに、見栄えをよくする(印象的に)ために使っている感じがある。これらの演出は、出崎統監督の三回パン・入射光、細田監督の影なし等々、その演出家を特徴付ける手法になっていくのだろうか。「小川太一さんと云えば○○」みたいな。




 個人的には、小川太一さんの「横構図」が好きで、映像的に効果をあげていると思う。『中二病でも恋がしたい!』第11話、『たまこまーけっと』第3話、『Free!』第9話の横構図は良かった。横構図が挿入されると、空気が変わるし、画面が印象的に映る。


 小川太一さんは、今、色々な手法をやって、自分にとってどれが合っているのか模索している最中っていう感じがする。

 

『境界の彼方』 テーマについてのメモ


 第5話までを視聴してのメモ。


 『境界の彼方』で、繰り返し言われているのが、「他者との違いからくる孤独」であり、いかにそれを克服していくのかがこの作品のテーマの一つだと思う。


 栗山未来は、自分の血を操るという特異な能力から、他者から忌避され続けてきた。そのことが原因で、未来自身も人との関わりを避けてきたのだった。しかし、神原秋人と出会うことによって、周囲の状況が徐々に変わり始めていく。未来は、人との関わりを拒絶するが、秋人はそれを無視して、自分と関わってくる。秋人が未来に関わってくるのは、理由があった。秋人自身も半妖夢という他者と違う部分があり、孤独をずっと背負ってきたのだ。

 秋人の妖夢の力は、あまりにも強大であり、その力は、自分と近くにいる人間さえも傷つけるものであった。未来の血の能力もその特異且つ強大な力のため、人を傷つけるものだった。だから、彼女たちは、人との関わりを避けてきた。

 未来は、秋人の半妖夢の力を目の前にし、秋人が自分が他者と違っても、それでもなお他者との関わりを続けようとしていく意志を感じ、考えを変えていく。

 それを象徴するのが、第4話のBパートラスト、中華料理屋のシーンである。今作品では、食事をするシーンがよく挿入される、それは、未来の血を生成するために食事が必要不可欠になってくるというものからだと思うが、重要な事柄を提示するのにも食事シーンは使用される。

 未来は、秋人が席を立った際に、自分が食べていたレバニラ(だと思う)を秋人の餃子の皿にわける。自分の食べ物(自分のもの)を他者に分け与えるという行為は、未来が秋人と、自分が他者と関わっていこうという意志の表れだ。その描写で第4話は終わる、他者を受け止め、共に生きていくことを示し、終わるのだ。




 第5話は、名瀬美月が主人公となる。他者との違いによる孤独を抱えていたのは、未来や秋人だけでなく、美月も同じだったことが明かされる。

 作中、美月はしきりに筒状のものを気にするというショットが挿入される(未来のジュースなど)。視聴者にとっては何のことだがわからないが、長月灯篭祭という物が開催されることを気にしていたことが後々になってわかる。美月は、異界士という他者には見えないものを狩る生業が、他者と交われないものだということを姉の泉から言われ、他者との関わりを極力避け、一人で生きてきた(子供の頃、友人から長月灯篭祭に誘われるが、断っていた)。

 長月灯篭祭に参加しないというのは、一人でいるという彼女の決意の表れだったのかもしれない。


 写真館でのシーン。未来に「なぜ、祭りに行かないのか(なぜ、一人でいるのか)」と質問され、「皆、結局は一人だ」と返す。そこでは、未来と美月は同じ席につくことはなく、別々の席に座る。それによって、美月が一人でいるという意志が映像によって表せられる。




 美月は、未来の誘いによって祭に行くこととなる。そこで、美月は未来に「みんな一人だからこそ、他者と交わる。共に生きていこうとするのだ」と諭される。

 この回が面白いのは、今まで人との関わり忌避し続けてきた未来が秋人の力によって他者と関わっていこうと決め、今度は美月を変えようとすることだ。秋人によって変わった未来が、美月を変えようとする。これが、面白かった。


 未来によって諭された美月は、変わっていく。それが映像的に表現されたのが、萌黄色の灯篭が桃色と変化していくショットであり、その色の変化は美月の心情の変化と連繋している。




 そして、美月は一人の時では決して見れなかった景色を見ることになる。彼女は、未来たちと一緒に鮮やかで美しい「打ち上げ花火」を見るのだった。他者と交わることによって、新しい世界が開けていく。この花火の描写が良かった。



 
 この作品のテーマは、茅原実里さんが歌うOP曲である「境界の彼方」でも示されている。


互いを受けとめて 生きる喜びに
きっときっと ふたり目覚めるよ


・・・・


 第5話のコンテ・演出は、山田尚子さんだ。第5話は、アクションシーンが少なく日常シーンがメイン。山田尚子さんにとって、今回は適役だったろう。

 細やかな人物描写や芝居は、さすがだった。

 美月の髪をかきあげるショットや触るショット、パンケーキを食べて口を拭うショットなど、肌理細やかな芝居の数々だ。泉との会話シーンで観葉植物を触っている描写など、彼女の心理を芝居によって表現していくのも僕の好みだ。部室での美月が未来と極力眼を合わさない芝居とかも良かった。


 自分の服を使って眼鏡を拭くという変わった拭き方など、芝居によって人物の性格を表していくのもグッド。



 

『凪のあすから』 岡田麿里と篠原俊哉の脚本と演出の巧さ


 第1話「海と大地のまんなかに」、第2話「ひやっこい薄膜」を視聴して。


 めちゃくちゃ面白かったです。

 P.A.WORKS作品で、久しぶりにワクワクしました。『true tears』、『花咲くいろは』に次ぐ、傑作の予感がする。

 『花咲くいろは』以来の岡田麿里さんの参加(『true tears』以来の名塚佳織さん)、そして篠原俊哉監督とくれば、面白いに決まっている!!



 『花咲くいろは』第18話「人魚姫と貝殻ブラ」で見せてくれた篠原俊哉監督が演出する肌理細やかな人物の芝居、細部まで作りこまれた設定。それは『RDG』でも遺憾なく発揮されていたが、『凪のあすから』では、篠原監督の仕事がより堪能できる。


 第1話のアバンで、僕は心を鷲掴みにされた。たった数十秒で、この物語の世界観を説明してしまう手際の良さ(テレビの塩分予報などなど)。状況説明を手際よく、効果的に処理できる演出家は、必ず優秀だ。それに加え、人物の芝居によって、登場人物の性格をさらっと説明する。例えば、先島光が朝食の準備をする様子から、彼が料理もできるしっかり者だということがわかるし、先島あかりの足を抱え込む仕草と言葉使いからは、彼女の明るさと奔放さが窺い知れる。僕が好きな描写は、熱い鍋をエプロンで掴んで持ってくるところだ。熱いからといって鍋つかみを使用せずに、エプロンで掴んで持ってくる(手馴れしている感じと男っぽさなどが表現される)という芝居一つで彼の人物像が浮き上がってくる。P.A.WORKSの映像力もあわさって、とても巧く出来上がっている。




 向井戸まなかが木原紡と出会うシークエンス。そこで、光はその「特別な出会い」を目撃してしまうわけなのだが、そこでは光を逆光で捉えつつ、彼を画面中心で捉えることはなく、画面右端へと追いやる。画面左端にぽっかり生まれた余白の空間によって、彼が受けた心のショックさをあらわす(不均衡な構図によって)。それに加え、後景で鳴きながら飛び回るかもめたちは、彼のかき乱される心情をあらわす。




 うろこ様に会いに行くシーン。うろこ様にメスの匂いがする(発情期)と云われ、ショックを受けたまなかは、飛び出ていく。光が追いかけた先で、二人は会話するのだが、そこでまなかは、髪をかき上げる(耳が見える)。その仕草によって、まなかの女性らしさを表現し、光はまなかの変化に気づいてく。




 うろこ様の呪いによって、学校に行きたくないと部屋に閉じこもるまなか。そこで、光が部屋を訪れる。みんなには、呪いを見せたくはないが、「光には見せてもいい」とまなかが光に伝えると、まなかにとって自分は他の者とは違う特別な存在だとわかり、光は喜ぶ。また、そこで光は、まなかの足の細さ(未成熟さ・か弱さを表す)を指摘し、彼女は自分が守べき存在、まだ幼いことを再確認する。


 しかし、まなかは紡といつの間にか仲良くなっており、うろこ様の呪いを他人に、しかも陸の世界の男の子に見せている時を知ったとき、まなかかが確実に変わっていっていることを悟る。


 その時の光とまなかの繋がれた手を写したショットは、何とも複雑な印象を与えるショットだ。この二人の手は、一体いつまで繋がれているものなのだろうか? これからも変わらず繋がれていくものなのか。それとも、別の誰かと繋いでいるのか。二人が手を繋いで海の世界に帰ってくることが、またあるのか。




 『凪のあすから』を視聴して篠原俊哉監督の人物描写の巧さを再確認した。上記した描写など、篠原監督は見せ方はやっぱ巧い。

 前作の『RDG』よりも『凪のあすから』での演出の方が、洗練されていると僕は思う。それにしても、篠原俊哉監督の感覚は若い(古臭さを感じない)。片山一良監督や原恵一監督と同世代とは思えない若さだ。



・・・・



 『凪のあすから』の面白さは、岡田麿里さんの力も大きいと思う。やっとP.A.WORKS岡田麿里さんが帰ってきた(2年ぶりだ)、P.A.WORKS岡田麿里という最強のタッグ。


 『花咲くいろは』の時に、岡田麿里さんについてちょっと書いたが、岡田麿里さんの独特の言語センスが今回も十分に発揮されている。


 例えば、第2話において、紡のことを呼び捨てにするまなかに憤慨する光に対して、まなかは「光は最近変だ」と反論する。怒ってその場を立ち去る光。光に対して、悪いことをしたと思い反省するまなかは、ちさきにその事を話すのだが、その第一声が「間違った」である。僕は、この台詞を聞いてとても驚いた。


 なぜ驚いたのかというと、「間違った」の言葉が出てくるとは、想像できなかったからである(前の流れを考えると出てこない、っていうかそこでその言葉を選択するか?)。岡田麿里さんの脚本ではしばしば、予想もつかない言葉が飛び出てくる。他の脚本家が選択しない言葉を唐突に出してくるのだ。『花咲くいろは』でもそれは顕著だったと思う。

 「メスの匂いが」とか「陸の上を泳いでいるみたい」とか独特のフレーズも印象的だ。(なにしろホビロンを生んだ人物だし)。第1話において、雑貨店で働くあかりに対する嫌がらせで潮留美海と久沼さゆがガム文字をするのだが、普通なら落書きという発想に落ち着くのだが、そこをガム文字にしてしまう岡田麿里さんの発想力(第2話において新しく呪いを受けるため、うろこ様に煮物を投げるまなかの行動とかも)。凡人では、思いつかない発想だ。




 第1話、まなかを助けた紡。二人の風呂場のシーン。そこで膝の魚に餌を与えようとする紡に「育てないで」と云うまなか。その「育てないで」には、紡に対するまなかの想いをそれ以上大きくする(育てる)意も含まれており、でも紡はまなかに対し綺麗だと云い、彼女が持つ想いを育ててしまう。

 こういうやりとりをさらっとやってしまうのも岡田麿里さんの魅力だ(第1話のちさきと要のやりとり、「いろいろ面倒なんだね」「そうよ、面倒なの」も素晴らしかった)。

 岡田麿里さんが描く、光、まなか、ちさき、要の4人のこれからの恋愛描写も楽しみ。


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 今後の物語も色々と気になる。

 異種間の交流、異種間の対立、思春期の身体・心の変化、思春期の恋愛、故郷の荒廃と伝統の維持など色々なテーマの他に、第2話では地上の者と海の者の恋愛の禁忌、結ばれることによっての追放、故郷を離れる・捨てるということ、新しい場所への渇望などが提示され、複雑なドラマが展開されそうな感じがする。提示のされ方がよくできているなぁと思った。



 『凪のあすから』をまだ見てない方は、要チェックです!

『境界の彼方』について 


 待ちに待った石立太一さんの初監督作品である。キャラデザは、門脇未来さんだ。


 京アニにとって、アクション物の作品は少ない。『フルメタル・パニック! The Second Raid』でのロボットバトルアクションや『MUNTO』でのファンタジーバトル、最近で云えば『中二病でも恋がしたい!』での中二病ワールドでのバトルアクションぐらいだ。

 
 本格的な学園異能バトルアクションは、今作が初めてであり、どんなアクションを見せてくれるのか期待していた。


 今年の京アニの3作品中、2作品は初監督作品だ(『Free!』の内海紘子監督)。京アニにとって今年は、監督を務めることが出来る人物を育てていこうという年なのかもしれない。京アニのエース監督になるはずであった山本寛さんはとっくの昔に退社し、山本寛さんと同等かそれ以上の演出センスを持った高雄統子さんも退社し、米田光良さんも、坂本一也さんももういないのだ。


 それならば、これからの京アニを背負って立つ人物は、一体誰なのか? 

 石立太一さん以外にいないじゃないか!! 


 ・・・とファンの僕は勝手に思うのだった。



 それで、作品を視聴した感想は、素直に面白かったです。


 ストーリーや設定は、何か目新しいものがあるわけじゃなく、強く惹かれるものは今のところなかった。でも、京アニのアニメーションによって、魅力的な作品に仕上がっている。おそらく、他の制作会社が制作していたら、凡百の作品になっていただろう。


 視聴して感じたことをいくつか。


 バトルアクションを見てまず初めに思ったことが、栗山未来の動きである。観ていて、不思議な感覚だった。栗山未来は、異界士であり、常人離れした身体能力を持っている。それは、自分の背丈以上の金網フェンスを余裕で飛び越え、壁もなんなく壊すほどの力なのだが、その超人的な能力の割りに、やけに女の子らしい動作なのだ。内股で腰を落とし、手の所作や佇まいなど、運動が出来ないごくごく普通の高校生の女の子みたいな所作をする。ちょっと大きめのカーディガンも女の子っぼさに拍車をかける。前期に『とある科学の超電磁砲S』が放送していたが、そこで繰り広げられる少女たちの超能力バトルアクションとはまったく別の発想だ。『とある科学の超電磁砲S』での美琴たちのアクションは、ここまで女の子らしさは出ていない。女の子らしさを出すことはバトルアクションには必要はないと思うのだが、今作の方がより女の子が戦っているという感覚が強い。ここまで、少女が戦っているというアクションは見たことがないような気がする。超人的な力とか弱い少女とのアンビバレスなバトルアクションはちょっと新鮮だった。




 第1話の校舎においての移動しながらのアクションシーンも見ごたえがあった。物が飛んできたら目をつぶったり、激しい動作で眼鏡が外れそうになったり、揺れる髪の毛や服とか、バランスを崩した状態で着地したらどうなるかとか、細部まで考えられたアクションになっている。それに加え、ストップモーションを随所に取り入れた緩急があるアクションにもなっている。カメラワークも多彩で、どこぞの平面的なアクションではなく、ちゃんと奥行きを感じさせるアクションになっている。だからなのか、ちょっと見にくいアクションでもある。


 会話シーンなどの日常シーンも石立太一監督らしいものだった。俯瞰気味のちょっとカメラが引いたショットや凝ったアングルのショットなどなど。石立太一演出回っていう感じ。公園での会話シーンも良かった。話の核心に近づくと、桜の花びらが風に舞い、彼と彼女の間に舞い落ちる。無数のゆらゆらと落ちる桜の花びらは、妖夢に対して揺れる彼女の心情を表す。




 石立太一さんと門脇未来さんが作り上げたOPも素晴らしかった(アクションシーンのエフェクトがこれまた良い)。栗山未来が物語の舞台である長月市花野町に越してくるという内容(だと思う)。朝から夜へと時間は流れる。孤独な少女(栗山未来)は、希望(神原秋人)と出会うのだ。並んで咲く赤と白の花は、未来と秋人のことだろう。




 水面に反射して映る月は、まるで異界師である未来と半妖の秋人を表しているかのようだ(空と海の境界線は、人間と妖夢の境界線)。




 これからも、『境界の彼方』についてちょくちょく書いていきたいと思います(第2話も面白かったです。ラストの牛丼店での鏡を使った会話シーンとか。それは、また次に書きます)

  

出合小都美のTVアニメOP・EDコレクション


 今、驚異的な数でOP・EDのコンテ・演出をしている出合小都美さん。


 前期は、2本(OP1本、ED1本)。今期に至っては、3本のコンテ・演出をしている(ED3本)。僕は、担当したその数に「どんだけ!」と驚いてしまった。

 OP・EDのセンスの良さで、引っ張りだこのようだ。


 前に書いた記事の続きにもなるけど、出合小都美さんのOP・EDの特徴について書いていきます。


 出合小都美さんのOP・EDの特徴は、


1 「カラフルな色彩」

2 「花」

3 「乙女らしさ」



となっていると思う。

 女性らしさが溢れるOP・EDが特徴的と云えるだろう。


神のみぞ知るセカイ』(2010&2011年 マングローブ制作)


 物語に合わせて、電子的な作風のOP(ELISAさんの曲も印象的だ)。このOPで、出合小都美さんの名前を知った人は多いような気がする。一瞬だけだが、花(レースなどの乙女らしい小道具)を使用したりしている。この辺りから、特徴が少し出ている。色彩もヴィヴィッドだ。



ましろ色シンフォニー』(2011年 マングローブ制作)


 出合小都美さんの特徴が全面に出た傑作ED。このEDによって、出合小都美さんの方向性が明確になった。美少女ゲーム原作っぽくない乙女らしさ全開のEDであり、このEDだけ別の作品のようだ。


 水彩的なやわらかな色使い。多彩な色彩を使用し、美しく仕上がっている。「花」、「蝶」、「レース柄」、「音符」などの乙女ティックな小道具もそこら中に散りばめられており、marbleさんの曲「水彩キャンディー」とあいまってとても可愛らしい。謎の小動物・「ぱんにゃ」がいい味を出している。



となりの怪物くん』(2012年 ブレインズ・ベース制作)


 戸松遥さんのパワフルな曲「Q&A リサイタル!」に合わせての元気溢れる仕上がり。水彩的な色使いを引き続き使用しながらも、『ましろ色シンフォニー』でのやわらかな色使いではなく、原色に近い色を多用したインパクトの強いものになっている。それゆえに、パワフルな曲調にもマッチしている。カットのテンポの良さも観ていて気持ちいい。「花」、「蝶」、「レース柄」はお約束だが、「お菓子」の小道具も追加されている。出合小都美さんのOPは、少女漫画原作にはぴったりのものだったろう。



ソードアート・オンライン』(2012年 A-1 Pictures制作)


 2クール目のED。桐ヶ谷直葉がメインのEDとなっている。満月の中、部屋にいる直葉。満月の光という色調が、直葉の和人のへの想いの機微を巧く表現している。もちろん「花」も登場する。落ち着いた仕上がりで、『ましろ色シンフォニー』や『となりの怪物くん』のような乙女らしさ全開ではないが、どこか女性らしさがあるEDだ。



『Robotics;Notes』(2012〜2013年 プロダクションI.G制作)


 2クール目のED。チュウタネロボ部の面々が描かれる。季節は冬から春へと。皆がいなくなる構成は、卒業を思わせる節がある。最後にタンポポの種子が登場する演出も良い。サビも盛り上がる。



THE UNLIMITED 兵部京介』(2013年 マングローブ制作)


 コンテで参加。トランプをモチーフにしたスタイリッシュなED。色彩を抑えつつ、ここぞという時に使用する。eyelisが歌う「OUTLAWS」とあいまって、かっこよく仕上がっている。



俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』(2013年 A-1 Pictures制作)


 この作品のOPを観たとき、出合小都美さんっぽい感じがしたが、こんなに扇情的なもの作るのかと疑問に思ってみたら、EDの方でした。


 出合小都美節が炸裂したED。夢の中にいるような、おとぎ話をモチーフにしたかのような構成。登場人物のパーソナルカラーに合わせた色使い。出合小都美さんのOP・EDの中で一番好きだ。カラフル且つ可愛らしく仕上がっており、これぞ出合小都美という感じ。寝巻も細部までデザインされており、細やかな仕事だ。ヨーロッパやアラビアンな所とか、幅も広い。月や太陽に顔が書かれているところも外国の童話っぽいですね。




 出合小都美さんのOP・EDが激増した理由はわからないが(仕事が早いのか、たまたま重なっただけなのか)、色々なOP・EDが観れて楽しい。OP・EDだけでなく、本編のコンテ・演出も素晴らしいので、今後は要チェック!