アニメに向いてないライトノベル作品「とある魔術の禁書目録」


















現在放送されているアニメ「とある魔術の禁書目録」を見ていて、「この作品、アニメに向いてないな」と思ったことがありませんか?  僕は所々「なんか、おかしいよな」とどうしても思ってしまいます。











例えば、第四話での当麻と神裂の会話シーンは観ていて正直きつかった。延々と当麻と神裂が喋り続けていて、「これはアニメーションという映像作品なんだから、この二人の会話シーンで丸々一話潰してどうすんだよ」とツッコミたくなった。この他にも、長々と電話で喋り続けていたり、第七話でのステイル=マグヌスと当麻の会話シーン等、普通なら長々と続く会話シーンを単調にしないように、合間を取って、見やすいように放送すると思うんだけど、この「とある魔術の禁書目録」は長々と続く単調な会話シーンをそのまんま放送するんだよね。だから、観ていて違和感を覚えてしまう。これは、制作サイド側に落ち度があるわけでなくて、原作のライトノベルがアニメに向いていないんだと僕は思う。錦織博監督も脚本家の赤星政尚さんも「原作ファンを失望させないように、原作に忠実に制作していく」という旨の事をインタビューで話している。原作通りに制作すると、あの会話シーンを削ることは不可能で、四苦八苦しながら作ったんだと僕は考える。












では、何でアニメに向いていないかというと、ラノベとアニメの時間軸の差異が原因ではないのかと思う。


原作の「とある魔術の禁書目録」第一巻の当麻と神裂の会話シーンを読んでみたんだけど、違和感は全く感じなかった。でも、アニメーションという映像媒体に移った途端に違和感ありまくりのシーンへと変貌していた。これって、「ラノベの時はたいして長くもない会話シーンなんだけど、アニメの現実の時間軸に置き換えると物凄く長い会話シーンになってしまっている」ということなんじゃないのかな。ラノベの時は、読者それぞれの時間軸で読むことができるけど、アニメは視聴者が時間軸を決めることができないので、ラノベとアニメの間に差異が生じたんではないんだろうかなと思う。・・・・・とまぁ、途中から自分でも言ってることがよくわかんなくなってしまっていて、うまく言語化できない。この違和感をうまく説明してくれる人いないかな?














あと、前々から思っていてんだけど、ラノベ独特の「造語」ってアニメになったら意味をあまりなさないんではないのだろうか。例えば、「とある魔術の禁書目録」でいうと「幻想殺し」(イマジンブレイカー)、「必要悪の教会」(ネセサリウス)、「魔女狩りの王」(イノケンティウス)等、文字媒体の時はインパクトのある魅力的な活字なんだけど、映像媒体(アニメ)では活字ではなく言葉として発せられるので、文字媒体の時のインパクトは薄れるのではないのかな。「灼眼のシャナ」を観ていた時も、「零時迷子」、「天壌の劫火」、「紅世の徒」、「弔詞の詠み手」等、原作を読んでいない僕にとって意味不明な言葉のオンパレードだったし、アニメだけを観ていたらこの「造語」が魅力的だと到底思えなかったな。「とある魔術の禁書目録」でも、アニメになったら造語の魅力が半減しているように感じる。