原作至上主義とアニメ至上主義の話。

前の記事の続き(?)。土曜日に友人4人と話したことのメモ。忘れないうちに。とは言っても、すでにうろ覚えになっているので、なんか所々おかしい感じに。


原作至上主義とアニメ至上主義の話。




・原作至上主義者のIとアニメ至上主義者のS、この二人を軸にして会話(僕はアニメ至上寄り)。僕たちが勝手に定義した原作至上主義者とは、「原作通りにアニメを制作することを望む人(過剰に)。ここの所は削るなとか、原作の素晴らしさを出しきれていないとか。他に、原作が上位にあり、アニメは下位にあるみたいな発想の持ち主」。僕たちが勝手に作ったアニメ至上主義者という造語の意味は、「アニメと原作は完全に切り離して考えるべき。アニメは原作から独立したもの。原作に縛られることは一切ない。原作とアニメの差異などを気にするな。作品として面白かったらそれでいい」みたいな感じのこと。そもそも、なんでこんな話になったかというと、某原作付きのアニメがあまりにもひどかったという話から派生したもの。

ちなみに、友人の部屋にたまたまあったのを流しながら話した(話と全然関係ないが、至上主義の単語が目に入ったので)。


七転八起☆至上主義!【通常盤】

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・制作側の腕がなさずぎる。原作通りに作って成功した素晴らしい作品はいくつもある。原作通りに作っていれば問題ないのに。なぜ、改悪をするのか。理解に苦しむ。平気で大切な部分を削るし。



・原作至上主義はあまりにも無意味。漫画、ラノベ、ゲームなどの原作とアニメは決定的に違う。例えば、文字媒体を映像にするということは、時間という概念が新たに誕生することなど、いろんな制約やら、新たな概念が生じるので、原作をそのまんま再現するのは不可能だ。漫画をめくる行為とアニメを視聴する行為は全くの別物、完全再現は無理。全く別のベクトルで制作されているんだから、漫画やゲームをアニメと同じように共有することは無理だ。改変は必然だ。



・「原作を改悪するアニメ側の方が絶対悪い。ゼノグラシアを忘れたとは言わせんぞ」。「いや、アニメとしては面白かったので問題ない」。「いや、問題ありすぎるだろ、あれ。ファンがどれだけ激怒した」。



・ひどい設定無視が多い。どう考えてもあの人物はあそこでああいう行動は取らないや大事な設定を省いているなど。変にいじくるから、矛盾点が生まれる。



・アニメは下位なのではないのか、と思う事が時々ある。原作漫画は圧倒的に面白いのに、アニメになると途端につまらなくなる。っていうか、ほとんどそれじゃないのか? 現在放送されている××××も原作よりはるかに劣っている。アニメという表現は、漫画やゲームより劣っているのではないのか? 

 いや、それは違うだろ。だから、それは媒体の違いから来るものだ。



・原作に頼るのはやめて、オリジナルをもっと作っていこう。そうすれば、何も問題はない。

 しかしそれが難しい。原作付きは安牌なので、できるだけ原作付きで制作したい。オリジナルでこけた時のリスクは半端じゃない。

 でも、どこかで原作付きからオリジナルへと方向転換していかなくては。




・話しはちょっと変わるが、うみねこを視聴していると、これってアニメ化しなくても良かったんじゃないのかなぁなんて思ったりしないか。

 うーん、どうだろう。



・ジャンプアニメのオリジナル話って面白いか? 時々面白いのもあるけど、だいたいはつまらなくないか? 原作のストーリーに戻ると面白いのに。そういうのをみると、原作というものがいかに優れていて、アニメはいかに駄目かわかる。オリジナルだと、キャラの性格がなんか微妙に違うし。

 うーん、それってなんか違うんじゃないのか? うまく言えないけど。




・原作至上主義Sの話。原作とアニメの双方にとって幸せな関係というものがあるはず。近年で言えば、ハルヒなど双方にとって有意義なアニメ化が確実に存在している(アニメとは話がずれるが、のだめのドラマ版があんなにウケたのは、原作にできるだけ忠実に再現した役者と物語があったからだという話も途中であった)。そのために、原作至上主義を唱えていかなければならない。さっき言った作品は原作をできる限り忠実に、なおかつうまく改変している。一番理想的な原作付きアニメと言えるだろう。その理想的な原作付きアニメを実現するためには、声高に原作至上主義を唱え、制作側に原作を忠実に再現するようにプレッシャーを与えなければならない。原作に忠実でなければ、作品は評価されない。そういう風潮にすれば、原作とうまく付き合うためにいつにも増して奔走するだろう。そうすれば、理想的な原作とアニメの関係が成立するのではないのだろうか。だからこそ、原作至上主義を唱えていかなければならない。そうしなければ、原作を無視して、改悪をする制作者が増えていくだけ。改悪して面白くなくなった作品をどれほど観てきたと思う。僕が観たいのは「画面で動く原作」、ただそれだけなんだ。




・アニメ至上派の話。原作とアニメはやっぱり切り離して考えるべきだし、原作至上主義を唱えるのはできるだけ控えたほうがいい。原作はあるが、独立したものとしてアニメが存在している。原作は原作、アニメはアニメと別々に評価して行こう。「〜と違う」と原作とアニメの差異を並べての批判をするのではなく、「アニメ作品自体そのもの」を批判したほうがいいのではないのか?そのほうが建設的だと思う。

ゼノグラシアは原作改悪なのかもしれないが、アニメ自体は決して否定されるべき代物ではなかった。それなのに、原作至上主義者は否定する。それはおかしいのではないか。作品そのものを評価していこう。彼らは原作にこだわりすぎて、作品の本質をとらえようとはしていない、見失っている。キミキスの時もそうであった。その態度は直すべきだ。過剰に反応せずに適度に原作と接することはできないか。アニメ作品自体の出来が粗悪だったら批判する、それこそが正しい姿なのではないか? 作品そのものを評価するために、原作とアニメは別物だと主張しなければならない。




 他にも色々話したが、平行線のまま何も目ぼしいものは出ず。



 何か、いい道というか、答えみたいなものはないのだろうか。