そうだよね、「見なければいい」んだよね。
ちょっと愚痴を。聞き流してください。
昨日の友人との会話
僕 う〜ん、あんまよくなかったよな〇〇〇〇の一話目。
友人 じゃあ、見なければいいと思うよ。
そうだね、見なければいいんだよね。
ごちゃごちゃ文句言ってるなら見なければいいんだよ。気にくわないなら、読むのをやめたらいいし、食べるのをやめたらいいんだ。いちいち言う必要なんかないんだから。そうそう、君は正しい。圧倒的に正しい。絶対に正しい。100%正しい。完全な正論だよ。僕が完璧に間違っている。でも、その「正しさ」に僕は無性に吐き気を催すことがある。正論に殴りかかりたくなってしまうんだ。醜悪な光景だ、戯言を言っている愚か者を諭してやったら逆ギレして殴りかかってくるんだから、どうしようもない愚か者だ。賢い人間は文句なんか言わないよ、スルーするんだ。ホント大バカ者だよ僕は。
できることなら反論したいのだけど、うまい事思いつかない。「見なければいい」という言葉をひっくり返す言葉なんて存在しないんじゃないのかとさえ思ってしまっている。だから殴りかかりたいなんていう物理的な事しか思いつかない。どういう理屈をこねても「見なければいい」を打ち負かせないんじゃないだろうか。いや、賢い人なら思いつくのもかもしれないけど、僕には思いつかないこともまた自分を幻滅させる。思いつかなくてもいいのかもね、屁理屈をこねる人間ほど見苦しいものはないし。
この「見なければいい」はよく見かける言葉*1で、とある作品の文句を言ってると必ずと言っていい程「じゃあ、見んなよ」という言葉が返ってくる。相手を黙らせるにはもってこいの理屈なんだ。
でも、言われるといまいち腑に落ちない。言い返せないんだけど、なんかモヤモヤする。このモヤモヤの解決方法は、自分が間違っていると認めて謙るの一つしかないんじゃないのか。言い負かすことはできないし、実際こちらが間違っているわけだしね。
っていうことを紀伊国屋で考えていた。