『アイドルマスター』第7話「大好きなもの、大切なもの」 舛成孝二と肌理細やかさ


 脚本/土屋理敬、コンテ/舛成孝二、演出/高橋正典、作監/山口智



 『アイドルマスター』第7話「大好きなもの、大切なもの」のAパート、高槻やよいの自宅に我那覇響水瀬伊織がご飯を食べに行く辺りから既視感を覚えた。どこかで見たことのある肌理細かい庶民的な日常描写。「何だろうな」とずっと考えて、ようやく思い出せた。

 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』第9話「俺の妹がこんなにエロゲー三昧なわけがない」(脚本/伏見つかさ、コンテ/舛成孝二、演出/宇井良和)での黒猫の自宅シーンにおける見事な日常描写と重なって見えたのだ。第9話「俺の妹がこんなにエロゲー三昧なわけがない」においての生活感溢れる細やかな描写の数々に僕は舌を巻いた記憶がある。もしかしてと思ってEDクレジットを見たら、やはり舛成孝二監督のコンテだった。

 人物の細やかな芝居と細部まで行き届いた描写は、見事。こういう細かい所まで想像して描写できるのは、凡百の人間にはできない。



 最初に心惹かれたのは、スーパーのシーンでのやよいのカエル型の財布の目が動く所。はっきり言って別にどうってことない描写だが、細部まで想像できるその力が素晴らしいと思った。スーパーでの背景美術の豊かさも素晴らしい。よくある適当なスーパーの背景描写では決してない現実と地続きにあるようなリアルな背景。やよいが商品をちゃんと選んで購入しているという主婦的な性格を表現するためには、ある程度現実感がある背景美術が必要なのかもしれない。




 次のやよい自宅に向かうシークエンスでの現実感溢れる背景美術もよかった。スーパーもそうだが、多分ロケハンを実施してたのだろう。ロケハンの実施によって、画面に説得力が生まれている。




「アイドル」という非日常的な世界から「家・家族」という日常的な場所へ。第7話「大好きなもの、大切なもの」はアイドルの家族・家をテーマにしたものなのだから、その家族との日常を表現するためにはリアルな背景美術と肌理細やかな人物の芝居が必要だったのだと思える。


 そういえば、第7話では「橋」が度々登場する。それは、アイドルという非日常の世界と家という日常の世界を隔てている舞台装置なのかもしれない。橋を渡って、非日常から日常へ、日常から非日常へ。




 やよい自宅の台所の描写。台所の描写が巧い、『花咲くいろは』第18話の素晴らしい台所描写も良いが、こっちも良い。



 居間の描写も良い。アナログテレビの上にビデオデッキ(おそらく)が置かれ、家族の人数分のカエルの置物や兄妹の写真や時計があり、生活感が溢れる描写。アナログテレビらしい画質の描写も。




 響とやよいの弟・妹たち。打ち解けて仲良くなったのを一瞬で説明するショットが良いな。



 弟が赤ん坊を世話する動作も細かい。



 弟が家を出て行った辺りの描写も良い。やよいの頭を掻く仕草は、現在のやよいの心情を巧みに表現したものだ。そして、やよいの表情を決して見せず、画面上から排除する。照明を欠いた薄暗いショットは、現在のやよいたちの心理的暗影をあらわす。やよいが自分の心情を吐露する時にやっとやよいの表情をカメラは捉える。効果的な見せ方。



 弟が物置に隠れていてやよいに開けられる瞬間に顔をうずめる描写があって、一動作加えることによって人物の心理をここまで豊かに描写できるのはすごいなと思った。



 第7話「大好きなもの、大切なもの」面白かったです。どこまでが舛成孝二監督の仕事かは断定できませんが、この回の舛成孝二監督の手腕は素晴らしいです。



おまけ

 挿入歌「キラメキラリ」に合わせての一連の流れは、見ていて面白いし、気持ちよい作りになっていて素晴らしかった。