『とある科学の超電磁砲』第9話が面白い〜佐天涙子と白井黒子〜


とある科学の超電磁砲』第9話「マジョリティ・リポート」で気になったことを色々とメモ。

佐天涙子白井黒子

 Aパート、木山春生と御坂美琴白井黒子がファミレスにおいて会話している場面。三人が会話している中、佐天涙子はファミレスの窓ガラスに手を触れる(図1)。そしてファミレスの中へと佐天涙子は入ってくる。Bパート、白井黒子と悪漢が廃墟のビル内において戦闘している場面。白井黒子は廃墟ビルの窓ガラスに手を触れる(図2)。そして、彼女は窓ガラスを柱にテレポートさせ、廃墟ビルを破壊し、白井黒子は外へと脱出する。この窓に触れる二人の行為は照応しているようにみえる。佐天涙子・レベル0の能力者と白井黒子・レベル4の能力者の対比。窓に手を触れる時、佐天涙子は建物の外に、白井黒子は建物の中にいる。窓に触れたとき彼女たちは、戸外から室内へ、室内から戸外へと空間を移動する(黒子が廃墟ビルに入る際、吹き飛ばされ窓ガラスを突き破る、窓に触れる)。窓ガラスを介した空間的な位置の移動によって、内部空間と外部空間の概念を際立たせているようにみえる。また、窓という仕切りによって二つの空間の対立をより際立たせる。佐天涙子(無能力者)のいる空間と白井黒子(能力者)のいる空間、二つの空間。そこには窓という隔たりが存在する。それは、佐天涙子のいる空間=レベル0の無能力者と白井黒子のいる空間=レベル4の能力者の境界線として窓という舞台装置が機能しているかのように思える。佐天涙子白井黒子の空間への移動を望む、幻想御手によって。

図1

図2


 廃墟ビルの建物の内では、能力者同士の戦闘がおこなわれていた。その時、廃墟ビルの外で佐天涙子はただ見守る(逃げる)ことしか出来なかった。能力者の空間に佐天涙子は入ることを渇望しているが、彼女は無能力者の空間にいることしかできなかった(そこには内の世界と外の世界との境界線を作る「窓」がある)。今や、幻想御手を持つ佐天涙子は空間の移動ができるだろう。でも、彼女は白井黒子が能力者と戦闘しているビルへと入ることが出来なかった(充電切れとは言え)。あの状況、能力者の空間(危険な)へと入ることが出来なかった彼女。それにより佐天涙子はより能力を望む。


 悪漢に男性が絡まれていたとき一端は逃げた彼女だが、最終的には戻ってきた。しかしもう一度、一回目の逃げたときと同じ佐天涙子がフレームイン/フレームアウトするショット(図3)が反復されたとき、彼女は白井黒子へのもとには戻らなかった(逃げ出した)。同じショットの反復と戻らないことにより、彼女の能力者(白井黒子)への劣等感が如実にあらわれている。

図3




 自分の無力さ不甲斐なさによって、一層彼女は能力者の空間を望む。


 それは前話や序盤にみせた無邪気な能力への渇望ではなく、歪な形としての能力の渇望になってしまう。


 Bパートラスト、佐天涙子は友人たちと出会う。このシーンの舞台は前の日記で書いたように多摩センターに実在する場所。ここでの彼女は上昇することなく、一貫として下降する。坂を下り、階段を下る(図4)。それはまるで彼女の現在の心情と被るよう。高架下で悩んだりと、場所が人物と密接に関係しているのかも。そして、彼女はわざわざ幻想御手を持っていることを友人に告白する(図5)。別に言う必要性はなかったのに。同じ空間(無能力者同士)にいる人間にしか打ち明けられなかった。それは能力者への劣等感に通じるものがある。

図4

図5




お守り


 佐天涙子は全編にわたって、幻想御手(曲なのだが)を握り続ける(図6)。しかし、彼女は一度だけ幻想御手ではない別のものを握ることになる。それは母親から貰ったお守り(図7)。彼女が手の中に握るものは、彼女が渇望しているもの。それゆえ、幻想御手を一切離そうとはせずに肌身離さず持つ続けている。だが、彼女は一度だけお守りを持つ。お守りは母親が佐天涙子を心配して預けたものだが、彼女にとってのお守りは母親からの重い期待(プレッシャー)になっている。それは佐天涙子が勝手にプレッシャーと感じているだけであり、それゆえに彼女は無能力者から能力者に移行することを渇望する。彼女が渇望するのは母親の期待に応えることであり、ゆえに能力を求める。

図6

図7



最後に


 今回全てのことが佐天涙子に通じる。はっきり言うと、白井黒子の戦闘は佐天涙子の変容をみせるためだけに使われていた。能力者と無能力者との差異を強調するために。ぱっと見ると幻想御手を巡る物語なのだが、それもおまけに過ぎず無能力者の佐天涙子のためだけの物語になっているように、視聴していて思った。



おまけ〜気になったこと〜


 なんかキャシャーンを思い出す。




 この風貌って、日村さん? なんで登場させたんだ?