『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第10話が面白い〜旅立ちとリオとカナタと老婆〜


 公式サイトのあらすじにも書かれている通り、今回はジャコットという老婆がリオとカナタに大きな影響を与える。そのことについて。



旅立ちと想い出と


 第10話「旅立チ・初雪ノ頃」では、新たな事実が次々と明らかになっていく。カナタが幼い頃に出会った金髪の女性兵士・イリア皇女。彼女の腹違いの妹がリオであった(店でイリア皇女の腹違いの妹の話になった時、転がっていくコインがリオの元へと辿り着くことが示すように)。それは、リオの父親が大公であることを指し示す。

 母親の元へと年に一度来るか来ないかだった父親をリオは嫌っている。

 父親をずっと待ち続けて死んでいった母親を不幸だとリオはずっと思っていた。父との確執がリオを悩ませていた原因の一つだろう。そのリオの苦悩を解消させ、一歩を踏み出させるきっかけを作ったのがジャコットとカナタである。


 年老いてもなお、家を一人で作り続けるジャコット。彼女はずっと息子とある人を待ち続けていた(作っていた家は息子の家)。待ち続けていた人物とは誰か? ナオミのヴォイスオーヴァーによって、ジャコットの過去が明かされる。ジャコットが若き頃に、当時保養地であったセーズの街へとやって来た商人の若様と恋に落ちて、子供を身籠った。しかし、それは許されない恋であった。男には、既に家庭があり、故郷へと帰らなくてはいけなかった。ジャコットの子供を連れて、男は本妻が待つ故郷へと帰っていった。その去って行った商人の男をジャコットはずっと待ち続けていたのである。ジャコットがシーツを摩っているショットからリオの母がシーツを直すショットに切り替わることやリオがジャコットの事を母親と似ていると云った通り、大公を待ち続けるリオの母親と商人の男を待ち続けるジャコットはほぼ同じ構造であり(立場や環境は違うが)、二人は通底している。ジャコットとリオの母親、どちらも「待ち続ける女」だ。リオは、「待ち続ける女」に対して、不幸であり悲しい存在であるという考えを持っていた。男をずっと待ち続ける母親を傍で見続けて、リオは不幸だと感じたのだろう。しかし、それは客観的な考えに過ぎない。当の本人、ジャコット(=リオの母親)は自分のことを不幸せだとは思わず、自分は幸せだと言う。リオの抱いていた認識とは、逆の認識であった。ジャコットは、男と交わした帰ってくる約束(=いつか再び会える希望)と男と愛し合った記憶(=幸せな想い出)があるから、私は十分(=幸せ)だと云う。この事実が、リオが母親に感じていた不幸だという考えを改めさせることになっただろう。母親もジャコットと同様に、不幸せなんかではなく、幸せだったと。リオの母親も、希望と幸せな想い出を持ち合わせていたのではないのかと。それが、父親との確執と母親への想いを変えさせていったのだろう。





 ジャコットのベッドには、自分の枕とは別にもう一つ枕が用意されている。それは言わずもがな、男が帰って来た時のために用意していたのだろう(ベッドも、シングルベッドというよりもダブルベッドの大きさだ)。待ち続けるジャコットの心情をベッドを使ってあらわした細やかな描写。

 ジャコットの家の中は、赤色の物が多い。ベッドや身に纏っている服など。ここまで徹底とした赤色の配置から見ると、赤は彼女を象徴する色彩なのだろう(ジャコットが好きな色なのかも)。

 商人の男と愛を交わしていた頃の回想では、ジャコットは赤色をずっと身に纏っていた。ジャコットにとって、赤色というのは、商人の男と愛を交わした時の色であり、彼女にとって赤色は彼との想い出そのものなのかもしれない。ジャコットは、想い出の赤色をずっと側に置いている。




 雪が深々と降り積もる夜。男を待ち続けるジャコットの元に、商人の男が帰ってきた。当時の容姿と変わらない男と当時の容姿に戻ったジャコットは、一緒に雪原の中へと消えていく。まあ、これはもうろくした婆さんが幻を見てどっかに行っちまったという話であり(しかも、靴を履かず裸足で外へ出た)、現に雪原にはジャコットの足跡しか存在していなく、男の足跡は存在していない、つまり男は全く存在していないことが証明されているのである。事実だけを並べると、幻を見てどっか行っちまって雪の中で多分凍死してしまったかわいそうで不幸せなお婆さんと片づけられるかもしれない。だが、ここで引っかかるのは、雪原に倒れているであろうジャコットの姿は画面上から排除されており、足跡しか描写されないことだ(カナタもリオもジャコットに追い付いていない)。ジャコットの死体を画面上に表すのを忌避したというか、わざわざ描写するのは野暮ったいと感じたのかもしれないが、雪原の中ずっと続いていく足跡はジャコットが旅立っていったという印象を受け手に与える。そう考えると、ジャコットは不幸せではないように思えてくる。前述したリオが母親に対して不幸だったという考えのように、視聴者もジャコットをかわいそうで不幸せだと感じてしまいそうだが、ジャコット自身は不幸せではなく幸せだったのではないのか。ずっと待ち続けていたジャコットの元に、待っていた男が帰ってきて、ジャコットは当時の姿へと戻り、迎えに来た男と共に旅立っていったのだから、幻想であるにしろ、それはジャコットにしては紛れもない幸福だったのではないのだろうか。雪原の中へと消えていったジャコットの足跡を前にして、泣き崩れるカナタと立ち尽くすリオの構図は、悲しみの構図ではなく(一見物悲しい構図)、幸福の構図だったのかもしれない(ジャコットにとって)。

 旅立っていくジャコットは、旅立っていくリオと照応するだろう。





 リオにとって、時告げ砦は、迷った末にやっと辿り着いたゴールだと思っていた。しかし、それは行き止まりにしか過ぎず、彼女は迷ったままだった。そのことを、カナタは肯定する。迷ってもいいと、行き止まりでもいいと、だから出会えたのだからと。カナタは、リオの悩みを取り除いていく。ジャコットだけでなく、カナタもリオに影響を与えていた。


 リオは旅立つことを決める。リオとカナタは、トランペットとラッパで「アメイジング・グレイス」を奏でる。時告げ砦にやってきたばかりの下手っぴなラッパを吹くカナタの姿はなく、リオと一緒に「アメイジング・グレイス」を奏でられる程の腕に成長したカナタの姿がそこにあった。二人が演奏を辞めても、「アメイジング・グレイス」はBGMとして響き続ける。二人の中で、音は響き続けている。



 
 リオはカナタに別れを告げ、時告げ砦を旅立っていく。それは、ジャコットにとっての商人の男、リオの母親にとっての大公という構図と被ってくる。カナタは「待ち続ける女」になった。リオとの別れは悲しいものだと思うが、カナタにはジャコットが示したようにリオと過ごした幸せな日々(=幸せな記憶・想い出)があり、カナタとリオが奏でる音はどこにいても響き伝わることができる。

 ジャコットとの出会いとカナタを通じて、リオは旅立つことが出来た。




梟と女神ミネルヴァ〜おまけ〜


 シュコは昔からイリア皇女の側にいることが写真によって示された。そこから連想されるのは、ローマ神話における智慧と工芸を司る女神・ミネルヴァ(ギリシャ神話ではアテナ)。


 ミネルヴァとフクロウの関係は(情報を集めるためにフクロウを飼っていた)、イリア皇女とシュコへと繋がってくるだろう。戦の神とされていたミネルヴァと戦車乗りで英雄であったイリア皇女は、照応している。


 シュコの存在理由が今回わかった。