『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』  最終話「蒼穹ニ響ケ」が面白い


 時期はずれたけど、最終話について。


音の交換


 最終話を視聴して想起させられるのが、第1話「響ク音・払暁ノ街」。


 第1話のBパート、カナタは谷底に落ち、ラッパを吹く。ラッパの音色は空に響き渡り、その音はリオへと届く。ラッパの音に応えるためにリオはトランペットの音色を奏で、その音は谷底のカナタへと届く。このカナタとリオが行った音の交換は、最終話で反復されることになる。最終話のAパート、カナタは停戦信号の音を聴く。クレハには聴こえなかったが、カナタにはトランペットの音色は届いた。カナタに届いた音色は、リオが奏でたトランペットの音色(吹く姿は描写されないが、リオが吹いたのだろう)。トランペットの音色は、クレハが聞こえなかったのと同じく、視聴者の耳にも届くことはない。この音色はカナタだけに届いた。『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』では、音=自分の想いであり(第1話の記事を参照)、登場人物達は自分の想いを音に変えて、相手へと伝える。音は必ず響き、自分の想いを相手へと届けてくれる。


 カナタの聴覚が優れているゆえに、カナタだけに音色が届いたのだと思うが、カナタへと送ったリオの想い(=音)だからこそ、カナタに届いたのかもしれない。第1話で、カナタの音(=想い)がリオへと伝わり、リオの音(=想い)もカナタへと伝わったように、最終話でもリオの想いはカナタへと伝わる。リオの音・想いが届いたカナタは、ヘルベチア軍とローマ軍が対峙する中、音(アメイジング・グレイス)を奏でる。カナタの奏でる想いは、近衛第1師団の戦車の上に乗るリオに届けられただろう。


 第1話の「カナタからリオへ、リオからカナタへ」の音の交換は、「リオからカナタへ、カナタからリオへ」への音の交換/想いの交換として最終話で繰り返される。


 音の交換と同時に、リオから届いた音・想いはカナタの音・想いとなって、ヘルベチア兵とローマ兵にも届けられる。これは、第1話でのカナタが吹いたラッパの音色が、時告げ砦からセーズの街の人々に届いた事を想起させる。

 第1話の音とは、比べ物にならないような美しいトランペットの音色。カナタが奏でる「アメイジング・グレイス」は、兵士たちの聴き入らせるほどの、「音」になっていた。そしてカナタの想いは、リオだけでなく、両軍の兵士にも伝わる。両軍の兵士にも伝わったのは、カナタの美しい演奏だけでなく、強い想いがあったからだろう。


 第1話と最終話は類似しており、二話は連繋している(「響」という文字が入るのも、1話と12話だけ)。首尾一貫とした「音」の物語が、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』にはある。




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 コンテ・演出は第1話に続き神戸守監督。第1話についての記事でも書いたが、第1話はFIXが主調となっていたと思える(あとロングとか)。

 最終話で目についたのは、群衆目線(POVショット)からの手持ちカメラのようなカメラワークなど、第1話では見受けられなかった文法(第1話では見受けられなかったダッチアングルなども)。最終話では、今までの形式が崩され、破調されているようにみえる。この破調により、異質なものへと作り上げられ、最終話は今までとは違う印象を強く与える。破調による画面の変調により、クライマックスは特権化される(神戸守演出回において)。



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 フィリシアがナオミが持ってきた焼き菓子を一人だけ食べるところがよかった。カナタもクレハもみんな手をつけない中、一人ムシャムシャと焼き菓子を食べるフィリシア。この焼き菓子を食べるタイミングと云うのが、ホプキンス大佐が時告げ砦から脱出した直後。人質がいなくなり、状況は悪化、その時に焼き菓子を食べる。「腹が減っては戦はできぬ」、フィリシアはより決意を決めて焼き菓子を食うわけで。焼き菓子を食べる行為で、フィリシアの心理を描いているのがよかった。丁寧な仕事だな思ったり。でも、あの機械的な顎の上下運動は、見ていて「うーん」と思った。食べている仕草にはちょっと見えづらかった(実際食べているんだけど)。ノエルをかばうために、ホプキンス大佐にフィリシアが発砲する所もいい。




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 皆のためにしっかりしなきゃと振る舞うクレハの描かれ方も良い。小隊中一番年下のクレハだが、第9話で孤児はしっかりしないといけないの発言通り、小隊のために彼女は行動する。そのために反対の立場を取るわけで。でも、堰を切ったように涙をぼろぼろとこぼし、ため込んでいた心情を吐露する。この流れが、よく描けているなぁと。カナタそっちのけで、クレハを描いていたような気もちょっとしたけど。




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 第4話でタケミカヅチに仮託して語られた自分の過去、第7話での「フィーエスタ・デュ・ルミエール」においてのノエルの俯き加減、第11話でのアーイシャとの出会いとホプキンス大佐との再会、各回に張られていた伏線が回収され、ノエルの過去が明かされたわけで。ノエルの過去に対しての伏線の張り方はなかなか緻密に作られていた。最終話を見た上で、第1話から見直すと、新たな伏線が出てくるかもしれない。『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は結構細部まで丁寧に描かれているので、人物の仕草一つで多様なことがわかる。




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 ちょっと意外だったのが、最終話のEDにおいてリオが時告げ砦へと帰ってくること。確かに第10話で、時告げ砦に帰ってくることを示唆していたわけだけど、まさかこんなに早く帰ってくるとは思わなかった。季節は春になったとはいえ、かなり早い帰還。何年後かに帰ってくるのかと勝手に思ってしまっていた。リオが帰ってきたことによって、時告げ砦の生活=日常の世界が帰って来たわけで。日常を取り戻すことが、一つの主題だったのかもしれない。リオが去り乙女が集う時告げ砦が男達によって蹂躙され開戦間近となり、このままだと日常の世界から非日常の世界へと入ってしまう。それを食い止め、リオを時告げ砦へと戻らせ、カナタ達の日常=五人での時告げ砦の生活が回復する。リオを戻らせてまで、日常を取り戻そうとした。


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