『獣の奏者エリン』第48話が面白い〜風景が織りなす物語〜

 『獣の奏者エリン』第48話「リョザの夜明け」では、第7話「母の指笛」以来の、絵コンテ/演出・布施木一喜、作画監督・杉本道明の布陣となっており(演出が連名ではなくなっている)、非常に濃い内容となっていました。決戦前夜の各々の心情を描いた回でしたが、ここでは主にキリクに焦点をあてて書いていきたいと思います。



風景と音とキリクとセィミヤ


 深々と降り積もる雪の風景、画面を白で覆い隠しノイズのように機能する吹雪の風景、そして全てを包み込むように輝く朝日の風景は、キリクの心理の変化を視覚化する役割を果たしている。第48話では、この風景がキリク、またはそれぞれの登場人物の心理/状況を表すかのような働きをし、風景が登場人物たち各々に影響を及ぼしたりと、多様な役割を演じることになる。



 冒頭、シュナンが率いる大公軍が捉えられる。この時点では、まだ吹雪いておらず、粉雪がゆっくっりと地面に降り積もる。シュナンが画面右方向を向いた横顔のクロースアップショットの時に、突如として吹雪き、画面は白で覆われる。その時「今は、陛下の出すお答えを待つだけだ」とシュナンは呟く(図1)。この瞬間から持続する激しい吹雪の風景が、登場人物たちの苦悩と苦難を表すかのような働きを示す。次に捉えられるのは、セィミヤとダミヤを捉えた状況設定ショット。その次のショットはシュナンが先ほど言った言葉に呼応するかのように、シュナンに向き合うように配置され画面左方向を向いたセィミヤが捉えられ、「この夜が明けたら、私は心を決めなくてはならない」と告げる(図1)。空間と時間を超えて、彼と彼女がまるで向き合って会話しているかのような画面の作りとなっている。シュナンに答えを問われるように、セィミヤは大変な決断を直裁しなければならない。第48話では、決断を迫られるセィミヤの心情の変化も見所の一つとなっている。

図1




 荒れ狂う吹雪の風景の中、ダミヤの追手の仮面の男たちに怪我を負わされ逃げるキリクは、エリンの元へとたどり着く。吹雪が届かない台車の中で、エリンに介抱されるキリクは、一時的にその吹雪の風景から解放される。吹雪の風景は、登場人物たちを苦難と苦悩の状況に追いやる機能を果たし、その吹雪の風景が遮断されると、登場人物たち(キリク)に一瞬の安らぎを与える。手当を受けるキリクはエリンへと菓子(棒状の飴のような菓子だと思われる)を贈る。その棒状の菓子のイメージは、この後追手たちと戦闘する時に放たれる棒状の武器(菓子と類似した)のイメージへと繋がる。キリクが放つ棒状の武器は相手に刺さり死に至らしめるが、エリンに贈られる棒状の菓子はもちろん相手を死に至しめることはない。イメージの対比。キリクはエリンにだけ死に至らない棒状のイメージを贈る。それは、キリクにとってエリンがどれほど重要な存在なのかを周りと差別化している。また、キリクが人とコミュニケーションをとる際に必ず菓子を与える所を見ると、彼にとって自分と相手とを繋げる唯一のツールが菓子であり(そこに彼の不器用さというか、過去の生い立ちが見えてくる)、エリンへと繋がろうとする彼の姿が見えてくる。



 登場人物たちに迷いと苦難を与える吹雪の風景の中、その風景に立ち向かうのがイアル。吹雪の風景の中、彼は迷うことなく行動をする。それは、カイルが示したように、イアルが「新しい光」を見つけたからなのだ。イアルが「新しい光」を見つけたように、吹雪の風景の中、キリクとセィミヤもまた「新しい光」を見つけることになる。


 大量の闘蛇の登場(ヌガンの軍)と共に、吹雪は今までよりも強く吹き荒れ、画面上の登場人物のやりとりさえもよく認識できないほどに吹雪の白に画面は覆われる。その強くなった吹雪はこれから起きる出来事を暗示しているかのように思える。ここでAパートは終了する。



 Bパート、あれほど荒れ狂っていた吹雪が嘘のように止み、穏やかに降る粉雪の風景を長めのPANで捉え、最後にエリンを映し出す。その手には短剣が携われていた。そこにキリクがあらわれる。エリンと一緒にいる時は、きまってキリクは吹雪の風景から逃れ、解放されている。それは、キリクがエリンと一緒にいる時だけ、一瞬の安らぎのようなものを得ているからにみえる。だから、あれほど吹いていた吹雪の風景が取り除かれたのもしれない。短剣を持つエリンを見て(短剣はエリンが自分の命を捨てる覚悟の象徴)、キリクは一緒に行かないかと言うが、エリンはそれを断る。エリンは、キリクに生きてくださいと告げ、キリクも生きて幸せになれとエリンに伝える。死を覚悟している二人が「生きてくれ」と言う言葉を交換する。この言葉の交換が深く感動を与える。



 「生きて幸せになってくれ」とキリクがエリンに伝え、去っていくとのと同時に、おさまっていた吹雪が再び吹き始め、太鼓(もしくはドラ)の音が響き渡る。キリクは一瞬の安らぎ(=エリン)から、吹雪の風景(=苦難と迷い)の中に響き渡る太鼓の音とともに身を投じることになる。吹雪の風景はキリクと対応しているようにみえる。キリクがエリンといるときは、吹雪の風景は周到に排除され、彼の心情を表現する。吹雪は激しさを増し、画面上でおこなわれる出来事を覆い隠すかのように、画面は白で染められる。



 王祖ジェを模したと思われるもの、王獣を模したもの、闘蛇を模したもの、それぞれが舞い、儀式が行われる。儀式と並行モンタージュによって映し出されるのは、荒れ狂う吹雪の中で戦闘するキリクとイアル。白い服を着たイアルと黒い服を着たキリクとの対比(図2)。二人の緊張が増していくのと呼応するかのように、並行モンタージュの間隔は次第に短くなり、交互に映し出される映像が戦闘を、そこに生まれる緊迫感を盛り上げる。キリクとイアルの剣が交わる時、王祖ジェが両手に持つ木棒も交わる。行われている儀式はキリクとイアルの闘いに対応していることがわかる。並行モンタージュ、対応している二つのシーン、執拗な反復、これらの要素は布施木一喜さんが絵コンテを担当した第22話「竪琴の響き」を想起させる。キリクは死ぬために、イアルと剣を交えたのだが、そのことをイアルに悟られ、命をとりとめる。二人のもとに追手の仮面の男たちがあらわれ、戦闘に入る。そこでは、並行モンタージュで映し出される儀式側の音は取り除かれている代わりに、キリク側の音だけが聞こえ、剣と剣が交わる瞬間に生成される衝突音が響き渡る。響き渡る衝突音は、まるでリズムを刻むかのように奏でられる。その律動的な音は、吹雪がノイズのように画面を占拠し、アクションが視認しずらい状態の中で、視覚ではなく聴覚を通して、必死に仮面の男たちと死闘をくり広げるキリクとイアルの姿を浮き彫りにする(『獣の奏者エリン』において珍しいバトルアクションが見えることも感動的なのだが、音が作りあげるバトルアクションも感動的だ)。また、キリクが仮面の男たちと生成する剣と剣との衝突音は、キリクが最後に奏でる生命の音、必死に闘うキリクの叫びのように、鳴り響く。命の叫びのような衝突音は、どこか物哀しく、吹雪の風景の中にとけ込む。キリクが奏でる音のイメージは、その後のエリンが奏でる竪琴の音のイメージへと連繋する。

図2



 エリンが奏でる竪琴の音は、ショットの繋がれ方により、カザルム王獣保護場のエサル達や、カシュガンとの間に子を産んだユーヤンのもとや(と思われる)、アケ村の人々のもとや、エクとアルのもとへと、聞こえるはずも、届くはずもないのに、まるでエリンの竪琴がちゃんと届いているかのような画面構成になっている。それは、もちろんキリクのもとへと届けられ、セィミヤのもとへとも届けられる。エリンの竪琴は、荒れ狂う吹雪を鎮めるかのような機能を果たし、吹雪の風景から美しく光り輝く朝日の風景へと変容させる(図3)。そのエリンがもたらした光り輝く朝日の風景に対して、キリクはエリンとターヤの姿を重ね合わせ、「新しい光」を見ることになり、涙を流す(図4)。セィミヤもまた圧倒的に美しい朝日の風景を見て、涙を流す(図4)。この二人に共通するのは、光り輝く朝日の先に、エリンの姿を見たことではないのだろうか。セィミヤはダミヤが言う闘蛇の姿を見たからではなく、エリンの竪琴がもたらした光り輝く朝日を見て泣いた。世界の広さと美しさに涙を流したのだ。宮殿の中の籠の鳥であったセィミヤ、またキリクも同じく縛り付けられた籠の鳥であった。その二人が輝く朝日の風景を見て涙を流す、それは朝日の先に王獣(リラン=光)の背に乗り、自由に大空を駆け回る美しいエリンの姿を見て、涙を流したのではないか。朝日の風景は、エリンそのものであった。彼と彼女は、大空を飛ぶエリンに「新しい光」を見出したのではないか。だから、彼/彼女は涙する。籠の鳥ではなく、自由に王獣を駆り、空を舞うエリンを見て。

図3

図4



 そして、夜が明け、運命の日が訪れる。



最後に


 第48話では、粉雪が降る風景、吹雪の風景、朝日の風景と、刻々と映し出される風景は変容していく。


 登場人物たちの心理や状況が風景に影響を及ぼしたかのように思うと、風景が登場人物たちに影響を与えることになる。第48話は「風景が物語る」と言っていいと思う。キリクやセィミヤは(特にキリク)風景と綿密に連繋し、最後の朝日の風景で深く人々を感動させる。言葉は多くを語らず、視覚で観ているものへと語りかける。


 今回の挿話は、風景が主題になっているように思える。



おまけ


 これってユーヤンとカシュガン? 二人とも結婚して子だくさんで良かったというか、幸せそうで安心した。吹雪で見づらいのがちょっと残念かな。